西村先生は「名医」をどのように定義しますか

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名医、ねぇ。名医って言われると、どんな難しい病気でも治す、っていうイメージが強いよねえ。漫画だけれど、ブラックジャックみたいな、手術で何でも(なんでも、じゃないけれど)治してしまう、みたいな、ゴッドハンドな外科医とか。あれはもう、本当に漫画だけれどある種の「名医」のイメージって、ああいうのがあるんだろうなあ、って思う。

手術が上手な先生、っていうのは時々いらっしゃって。私が大学で臨床実習をしていた時の脳外科の教授が、手術がとっても上手だった、という話が残っている。どういう話だったか、っていうと、「ハーディ手術」って呼ばれる脳外科の手術があるの。下垂体腺腫を切除する術式なんだけれど、手術の名前にハーディ、っていう人名がついているのだけれど、そのハーディさんが、うちの教授の手術を見学に来たんだって!ってくらい。

一方で、教授の外来ってのを見学させてもらう日があったんだけれど、こっちは本当に茶飲み話だけで、看護師さんが「こんな外来見ててもびっくりするよねえ」ってそんな声をかけてくださってた。いやさ。脳外科の術後の外来なんて、病状の話したってしょうがないから、茶飲み話みたいな話になるのよ。だいたい。で、教授としては、いわゆる病気と治療、だけじゃなくて、患者さんの日常が垣間見える風景っていうのを、学生のうちに見ておけ、っていう教育的な配慮があったんだろう、と思っている。

だから、あの教授は手術が上手っていう意味でも名医だったし、ちゃんと患者さんの人となりまで診ていた、っていうところでも、きっと名医だったんだろう、と思っている。教授の手術の姿は見た覚えがないんだけれど、もう一つ言うなら、大学病院で、若手の先生を上手に育てていた…っていうこともやっておられたんだろうな、って思うから、そこもすごいよねえ。さすが…って話になる。八面六臂って、こういう先生のことを言うんだろうねえ。

私の得意な領域の話でいうと、漢方の古い本には名医っていうのがいろいろ書いてあって、華佗とか扁鵲っていうのは古代中国でも屈指の名医ってことになってるよねえ。

扁鵲の六不治っていうのがあって、https://ai-you.work/2024/03/13/%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e5%8c%bb%e5%ad%a6%e3%81%ae%e5%9f%ba%e7%a4%8e%e3%82%92%e7%af%89%e3%81%84%e3%81%9f%e4%bc%9d%e8%aa%ac%e7%9a%84%e5%90%8d%e5%8c%bb%e3%80%80%e6%89%81%e9%b5%b2%ef%bc%88%e6%88%a6%e5%9b%bd/

こちらには他のエピソードも並んでいて、まあそれぞれに圧巻なのだけれど、ひとまず六不治の話をしよう。

 

1)驕恣にして理を論ぜざる(わがままで理にあわないことばかりいう)

2)身を軽んじ財を重んずる(からだより財物を重んじる)

3)衣食適すること能わざる(衣食が不適当)

4)陰陽并さり蔵気の定まらざる(恒常性が崩れてしまい、病巣がどこにあるのかわからない)

5)形羸して服薬すること能わざる(からだが衰弱し、薬を服用できない)

6)巫を信じて医を信ぜざる(巫を信じて医者を信じない)

 

番号は私がつけたんだけれど「こういう状態であれば、いかな名医の扁鵲であっても病を治すことができない」ってことで残っている。

研修医時代に「手術を受けるひとって、元気な人だから…」って先輩が言っておられて、え?元気な人?病気になってるから手術を受けるんでしょ?って思ったんだけれど、その後長いこと仕事していて、納得できるようになった。やっぱり手術を受けることができるためにはそれなりの体力がないといけなくて、つまり、そういう意味では比較的元気な人たちなんですよねえ。手術受けられる状態じゃなければ、どれだけゴッドハンドでも手術で治す、ってわけにいかないもんねえ。薬が飲めないと、そりゃ治すのは難しいよねえ…ってことになる。

なお、この扁鵲先生、名前が残っているのはこの人だけなんだけれど、三人兄弟の末の弟なんだって。で、あなたは治療の腕が良いって有名だが、って聞かれて、いやいや、わたしなんて、まだまだ。上の兄は、もっとすごいのです、って。本当にすごいので、病気が起こらないようにしてしまうから、ほとんど気づかれないんです、って文章も残っている。

中国の名医の話ってのは、話題のスケールが大きくて、「上医は国を医(いや)し、中医は人を医(いや)し、下医は病を医(いや)す」って文章が残っている。医者が?国を?どうやって?って思うのだけれど、これはどういう意味合いだったんだろうねえ…って考える余地が山盛りありそうだなあ、って。扁鵲のお兄さんみたいな人が公衆衛生の改善に努めて、その効果が国に及んだ、っていうのも、国をいやすことになりそうだけれど、もっとすごい人になると、居るだけで、その周囲のひとたちが元気になっていく、みたいなそういうパワースポット的な存在になることもあるらしい。そっちの方が夢があるよねえ。

私の漢方の師匠は、今は熊本でダンスワーク中心神楽、http://www12.plala.or.jp/chushin-kagura/index.html っていって、踊っているんだけれど、昔、「上工治未病(じょうこうはみびょうをちし)、中工治己病(ちゅうこうはいびょうをちす)」ってのを教えてくれた。その時の未病ってなんだったんだろう…って思うけれど、触診して出てくる病気の根っこの話だったんだろうか。今は本当に踊るだけで治っていく、ってことをやっている。変な人(失礼!)なんだけれど、ここで元気になるひとも結構いらっしゃるらしく、やっぱりそういう意味で名医なんだと思う。

病あって治せず、常に中医を得る、っていう言葉も教えてもらった。「病気になって、治らない状態であるっていうのは、凡庸な医者に診てもらっているようなものだ」って意味らしい。これは調べてみると、貝原益軒(1630—1714)の養生訓に出てくる言葉(巻第六の最後の節)だったみたい。益軒先生もずいぶん上医とは、下医とは、って書いておられる。https://www.nakamura-u.ac.jp/institute/media/library/kaibara/text03.html#sec07

医者、ではないのだけれど、野口整体の創始者で、治療家の野口晴哉先生なんて、本当に名医だったんだろうなぁ、って思う。

治療を希望する人が朝に行列をつくって並ぶのだけれど、門の前に並ぶのはまだまだで、本気で並ぶひとは門を乗り越えて玄関前に並んでいた、とかいろいろな逸話がある方でもある。ただ、名医…とは言わないにしても、本当に力のある治療家でいらっしゃったのだけれど、残されている文章に、「わたしは治療することをやめた」って書いておられる。「わたしが治療すると、たいていの方が治る。で、そういうことが理解されてしまうと、みんなが安心して身体を毀してくることになる」ってそういう書き方をされている。晴哉先生に、みんなが頼り切りになってしまった、っていうのはあるんだろうなあ、って思うし、それは本来の先生の願っていた形ではなかったんだろうと思う。治療をやめてからが、名医の道に入る、のかもしれない。

わたしの定義する名医?

そりゃ、医療を忘れる(ぼけ老人じゃないよ!)くらいに医療が必要ない状態を作り出すスーパーパワーで、そこに居るだけでみんなが元気になっていく、っていうことじゃないの?って思ってた。でもさ。それって教祖様みたいな感じだけどさ、その人がいなくなったら、みんな元気じゃなくなるじゃんねえ。

それも嫌だなあ。

存在がなくなっても、それまでに関わったみんなが自分たちの工夫で元気に生きていけるような、そんな道筋を示すひと、なんてのはどうでしょうかねえ。

そこまでいくと、まるでお釈迦様だよねえ。お釈迦様のこと「医王」って呼ぶこともあるし、彼も医療的な知識をどこで得たのか、人の病にいろいろ関わって治療もなさってたみたいだけれど。そうか。かのお釈迦様が名医だったってことか。間違いないよねえ。