病気の自覚と、健康診断の意義について

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健康診断の血液検査などは、そのあと医師の面談を受けることができるので、治療を要するのか、もっと深い検査が必要なのかを、相談して決めることができますが、「異常の自覚」があらわれても、それが深刻なものなのか、気にしなくてもいいものなのかを判断するときに、「自分の身体のことは、自分が一番わかっている」という直感を信じる、という生き方は、あまり勧められない、という考え方ですか

 

似たような話を書いているので、「同じことは聞き飽きた」って方があるかも知れないんだけれど、ひとりの人間の答えにバリエーションがそんなに無いから、ってことにしておいていただけたらって思います。

(そのへん、たとえば、亡くなった河合隼雄氏(もと文化庁長官)の講演会は、毎回話が違ったなあ。って感心している。なかなか、あそこまで毛色が違う話を同じ人の講演で聴いた、ってのは無かったんじゃないかなあ…)

 

病気かどうか、ってのを心配する時ってのは、まあ2種類くらいあって、1つは「自覚症状がある時」。これはまあ、あまり迷わない。自覚症状があれば、健康診断じゃなくて、直接診療所や病院を受診して、自覚症状をもとに検査の計画が立てられるから。で。結果がどうとかこうとか、で、治療法はこうとか、あるいは「うーん。検査は異常ないですねえ。じゃあ様子みましょうか…」とかって動きになる。どちらにしても(後者なら本人には不満は残るかもしれないけれど)まあ、治療をしようぜ、とか精密検査に進もうぜ、って話に対して本人が「嫌だ」ってのは、あまり無いんじゃないかなあ、って思うんですよ。

 

で。問題は、健康診断みたいなところ。あ。そうじゃないけれど、っていうので、文句言われたこと、あった。

 

婦人科の診療やってると、ときどき、カンジダ性外陰炎って病態の人がいらっしゃるわけ。だいたいは「外陰部(ないし腟のなか)がかゆい」って言って来られる。で、診ると、本当に真っ赤になってて、かゆそうなの。いろいろ調べるとカンジダが増えていて、ってもともとカンジダは、腟内の常在菌(酵母様真菌と呼ばれる分類になります)なんだけれど、腟内での細菌なんかとの力関係で、やたらと増えることがあって、増えてくるとかゆみがでてくる、らしい。もう一つ、増える理由が、糖尿病。これがあると、なかなか治らない上に、かゆい部分が広がってくる、っていうことで、ぱっと見て「うわあ、すごいひどいことになってるなあ」って人は、「糖尿病の可能性があるから、一度内科で診てもらってきて」って薦めてたのよ。たいていの人はそれで喜んでくださるんだけれど、一度ひどく怒られた。「おかげで病気をもう一つ増やされた!」って。

 

健康診断を受診するときの心持ち、っていうのもひとそれぞれだもんねえ。自分で人間ドックに行きます!っていう人から、会社や、上司から「行ってこい!」って命令されたので、しぶしぶ…って人まで。

 

後者の人が追加検査、とかっていうと、本当に嫌がるのかもしれない。追加検査じゃないんだけれど、「今日、どうしてもバリウムの検査を受けたい!」っていう方がいらしたことがあって。どうしたんですか?って訊いたら、会社がやたらとうるさいんだ、って。検査が終わっていないと「早く行ってこい!」って。なので、せっかく今日来たんだから、結果がどうであれ(食事していたりすると検査しても、食物残渣がありますので、きっちりわかりません、みたいな返事になってしまったりする)今日受けたい!みたいな話されてた。こういう人が「別日程で追加検査が…」ってなると、うーん。すごく面倒だ!っておっしゃるかも。

 

そういう、追加検査とか、治療とかしたくない!って方の事情がどこにあるか、だよねえ。

 

私には、お医者さん以外の師匠が何人かいて、そのうちの一人は増田明、っていうんだけれど、彼はボディートークっていう健康法を考案して、実践してた。で。自分のことは自分でわかるから、って言って、ずいぶん長いこと医者とか医療に対してシニカルな態度を続けていた。もちろん、現代医療が批判されるべきところはいっぱいあるから、彼のその批判が全て、的外れだったとは言わないんだけれど。ところが彼は、そういう形で自分の体調に絶対的な自信があったから(髪の毛はずいぶん若いうちに薄くなってたけれど。それは「ボディートークやってるから、このくらいですんでるんです!」って強弁してた)健康診断も受けてなかったんじゃないかなあ。個人事業主だったし。

 

で、ある時、魚の目を自分で削ったところから感染したらしく。すでに糖尿病がずいぶん進んでたのよね。足が腐って、菌血症で全身に細菌がまわって、いのちの危機だったらしい。それが少し落ち着いたところで、足の指数本を切除して、それでも壊死した創部が残って…みたいな状態で、大変だった(って聞いた)。その後、血糖を自分で測定するようになってからは、自覚的な体調を自分で分析することで、測定前に血糖値を言い当てる、みたいなことはできたらしいけれど、じゃあ、血糖値の測定を慣れるまでに、そういう「血糖値が高い!これは違和感が!」ってのは無かったわけでしょう。なので、「自分のことは自分でわかる!」とか、「血圧の薬を飲め、っていうのはあれは陰謀だ!」とかっていう、医療に関わりたくない、っていう方があるなら、本当に、本当に、「どうぞなにごともありませんように」ってお祈りしたくなる。

 

お祈り、って話になる前に、医療者が声かけする「受診しましょう」とか「検査うけましょう」っていう言葉に耳を傾けて、そのための時間を捻出してほしいな、って思う。

 

きつい言い方をするなら、「健診で異常が指摘されました、ってところで、さらなる検査とか治療をお薦めしているのに、それに従わないってんだったら、あなた、何のために健診受けに来たの?」ってことになるもんねえ。健診が無駄になるじゃん。…いや、会社の命令だって人もいるだろうし、渋々いらっしゃったんだろうけれど。さ。

 

もちろん、健診では、わりと幅広くひっかけるようにしてあるのよ。それがスクリーニングっていう行為のポイントだから。あやしい人は精密検査に進んでもらう、ってのが大事で、うっかりそういう中にいる「本当に重症」なひとを取りこぼさないように、って。だから、健診で異常があります、って言われたから、すぐに病気がある、ってわけじゃないんだけれど、さ。せっかく検査の結果が出たんだから、それに従って、追加の検査受けようよ。ねえ。