#15 怒り…イライラについて

nishi01

産婦人科医が怒りのことについて話するって、変?まあにしむら先生ならもとから変だったからねえ…ってことで許してほしい。

私がアドラー心理学の勉強をちょっとやってた、って話はしてたっけ?微妙にそういう言い方はしてなかったような気がする。アドラー心理学をかなりしっかり修めたひとが、師匠的な方でいらっしゃって、そこでずいぶんと教えてもらったのですよ。で。だ。野田俊作先生も晩年、チベット仏教に帰依されていたけれど、私の師匠筋の方も、仏教の勉強をはじめられてて、ねえ。

仏教では「怒ってはならない」って教えがあるんだって。汝いかるなかれ。瞋恚戒だよねえ。

仏教でいうと「貪瞋癡」ってのが「三毒」って呼ばれるもので、「むさぼる」「いかる」そして「おろかである」ってことになるのかな。どれも重要なポイントになるのだけれど、怒ることについては「のこぎり経」っていうお経があって、「たとえ、身体を竹ののこぎりでぎこぎこと切られていても、怒ってはならない」って書いてあるらしい。すごい状況だなあ…って思うのだけれど。それだけ、怒りっていうのは、毒になるんだ、ってことみたいだった。

いやそんなこと言ったって、やっぱり腹立つことってあるじゃない?って思うでしょ。一生懸命、怒りが正当化される場面を考えたのだけれど、どれも「それは…だから、怒る必要ないよね?」って形で正当性は認めてもらえなかった。

アドラー心理学では、怒りそのものじゃなくて、「感情ってのは手段なんだ」っていう話を聞いていたんだった。なにかの「原因」があって、それに例えば感情的に害されたことで「怒り」ってのが発生する、って、普通はそう考えるよねえ?腹が立つことが存在するんだ、だから腹を立てたんだ、って。でも、アドラーは、そこを逆に考えたらしい。腹を立てること(だけじゃなくて感情一般)、っていうのを人間関係の中で使うことで、相手を自分の思ったように動かそう、という、そういう手段なんだ、って。

この議論をすると、感情を挟んで、いわゆる「原因と結果」が入れ替わる。野田俊作先生は著作の中でしばしば書いておられるけれど、トリックスター的な指導をされていたらしい。

たとえば、縷々、腹が立ったことをおっしゃっているクライアントさんに、「腹が立っているのは、原因じゃないんですよ。で、腹を立てることで、どういう『自分の思い』を実現しようとしているんでしょうかねえ?」みたいなことを、もっと上等な方法で、問いかけておられた、んじゃないかと思う。そりゃ、ポカンとするよねえ。クライアントさん。で、ちょっと内省するよねえ。上手いこと内省できると、怒りの向く先も変わるよねえ…。

月経前症候群(PMS)の症状の中に、イライラする、とか攻撃的になる、っていうのがある。

このイライラについて、洞察をすすめた患者さんがいらっしゃって、「いわゆるイライラに2種類ある」と。「対象がはっきりしているイライラと、漠然としたイライラと」ってことを共有してくださった方がある。なるほど、対象がハッキリしているのはわかりやすいけれど、全てじゃないんだ。と。

この漠然としたイライラって何なんだろうねえ…?って思う。ほら。機嫌の悪いときって、普段は腹を立てないことにだって、腹が立つってあるじゃん。あれさ。腹を立てることがあった、から、腹立ててる、んじゃなくて、イライラをぶつける先を見つけた!って形なんじゃないの?って話はしばしばあって。「不機嫌だからって、その不機嫌をぶつける先にしないでよ!」って逆に怒られることもある。

そういう漠然としたイライラって一体なんなの?って話。

ここで、30万年ほど時代を遡ってみよう。いきなり何を言い出すの?って思うけれど、ほら、サーベルタイガーとか、マンモスが闊歩していたころの話。当時人類は一生懸命、こうした大型哺乳類がいる世界で生き残りをかけて頑張ってたわけで、さ。

そういう時代の話だと思ってみてください。今日は遠出して、帰ってきて、くたびれた…ってなっている時に、マンモスが来た!とかサーベルタイガーが追いかけてきた!ってなったらさ。火事場の馬鹿力って出るじゃない。今、そういう頑張りしなかったら、死んでしまうわけでさ。とりあえず、あとのことは考えないで、今生き延びること、ってのを優先すると、なけなしの体力を振り絞るわけ。

そういう時に使うのが「アドレナリン」なんだと思うわけですよ。いわゆる副腎皮質から出てくるステロイドホルモンの一種。これを使うことで、疲労困憊していても、あともうちょっとだけ頑張ることができる。きっとそういう「緊急避難」ができるようになってたんだと思う。

このアドレナリン、怒りのホルモンっても言われている。怒りの時に分泌される、とか、分泌されると、心拍数が増えたり、血圧が上がったりするので、全身に血液がまわるようになる。そりゃさ。大急ぎでマンモスやサーベルタイガーから逃げなきゃならんのだから、可能な限り、身体パフォーマンスが高くなるようにするよねえ。

まあ、そういう非常脱出ボタン、みたいな装置が、人の身体にはそなわっているんだ、って思ってもらったら良いのだけれど。現代人がそのボタンを使うことってのが、結構あって、ね。(どこにもマンモスは来ないじゃない?どこで使うのよ?って思うでしょ。そうなんですよ。本当に。でも使ってるのが実状で…)つまり、ヘトヘトになっているのに、人間関係上とか、仕事の都合で、とか、「もうひと頑張り!」ってのをうっかりやってしまう。そのうっかりやってしまう時に「非常脱出ボタン」を…たぶん半押しくらいにしているんだろうと思うのよ。半クラッチみたいな感じ?

で。身体はそれなりに無理をする、ってことになるわけよ。

無理をして頑張っている、っていうのは、まあ良いとして、その時にホルモン的には、アドレナリンがゆーっくり、身体の中に流れているんだろう、って思うとさ。ほら。怒りのホルモンがじわーってやってきてるのよ。

なんとなく、イライラしてても仕方ない、って思わない?イライラしてて仕方ないから、何かにあたる、とか、激しく怒る、とかっていう行動が正当化されるわけじゃ、ないんだけれど。

身体がしんどい時に頑張って動かなきゃならない、って状況、って、つまり怒りエネルギーを使ってるのよ。で。この怒りエネルギーってさ、体力の前借りも良いところでさ。本当に、あとさきの事考えないで、今!動けたら、それで良い、っていう生きるか死ぬか、みたいな性質が強いから、これを使うと、その後の疲労感ってすごいんだよ。

体力の前借りしてみたら、借りた相手が高利貸しだった、みたいな感じで取り立てがくる。取り立てが来るんだけれど、それでもやっぱり今!動かなきゃ!ってのがあると、また体力の前借りをするのよねえ。

で、ひとって、上手くいったら、その行動を繰り返すようになるから。この行動パターンを覚えたひとって、どんどんそれをするようになる。で、どんどん怒りのホルモンが分泌されて、わりとうっすらずーっと怒りの状態にあったりするのよ。

特に月経前症候群(PMS)なんかの黄体期、って、エストロゲンの影響がゆるんで、微妙に頑張りがきかなくなった場面だから、そこでも頑張らなきゃ!っていう社会性が発揮されてしまうと、この怒りのモードに入ってしまう。

それとね。仏教の教えの中では「不機嫌な状態でいる」とか「ちょっと気分が暗い」ってのも、実はうっすら怒りモードなんだ、って話をしていた。「人を見下している」っていうのもそうなんだって。そういうムード的な部分で「怒り」を使っている人も、社会性の発揮の1つなのかもしれないけれど、あるよねえ。

で。そういう形で怒りを使い続けていると、どんどん、体力の借金が膨れ上がるし、利子がエラいことになってくる。どこで精算することになるの?って話になりそうなんだけれど、こういう積み重ねがどこかで破綻すると、明らかな不調ってことで病気みたいになるのかもしれないよねえ。

仏教の教えでは、怒りを認識したら、そのまま手放すんだって。ひとつ、ひとつ、認識しては手放す、っていうのを続けていると、そのうち晴れてくる。なかなかそこまで行かないとは思うのだけれど、自分の怒りっていうのを、「ひょっとすると正当性はないのかもしれない」って思いながら観察するだけで、人生が変わってくると思う。時間はかかるかもしれないけれど、怒るな、ってのを実践する、って、人生の奥義だと思うよ。