#07 正常の基準が動く話

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正常と異常、って話を「多数決」の話だ、ってことに決めてしまうとしよう。っていうと、すごく妙なことになってくるよね?って話がいろいろあるんだけれど、正常の基準が時代とともに変化してきたものはたくさんあるのよねえ。ってことをちょっといろいろ拾い出してみた。

 

最近は「生理痛がある」方が多数派になっている、らしい。

「私、生理痛が無いんです。異常でしょうか…?」って受診してきた若い女性がいらっしゃったんだと。

それが正常なのよ、あなたは健康な身体で育ってきたのね…って返事して帰ってもらった、って話が(どこかのSNSだったか、噂話だったかで)流れてきた。

これは本当につらい話で、どうしてそうなってきたのか、ってことをいろいろ考えるのだけれど、やっぱり邱紅梅先生の『生理痛は病気です』がとってもわかりやすく、かつ生活指導についても詳しく書いてくださっているので紹介しておきたい。

生理痛は病気です 邱紅梅 | 光文社新書 | 光文社
中医学をベースに生理と体質を知り、痛みを根本原因から解決する

ざっくりと根拠の無い話をすると、やっぱり現代日本の生活もろもろが、女性の身体を守り育てる、っていう意味ではあまり好ましくない状況なんだろう、って思っている。

 

話題がちょっと極端な話で申し訳ないんだけれど、中国では、地下鉄の車内で子どもに排便させることがある、って話題になったのを覚えている。

(今調べたら、2013年に上海で「地下鉄車内での飲食や排せつ行為を禁止することが検討されている」って記事が残っていた。排泄と飲食が同列、というのも微妙なところではあるのだけれど。 https://www.recordchina.co.jp/b76975-s0-c30-d0038.html

そりゃ、閉鎖された空間の中で排便されたら、周りに臭いは広がるし、なんとかして欲しいよねえ、ってのはわかる。最初に聞いたときに、中国人のマナーはひどいって聞いていたけれど…って絶句したような気がする。

ただ、純粋に、便秘の予防ってこと「だけ」を考えるなら、便意が発生したら、即座に排便させる、っていうのが良いのよ。便意って、シャイだから、ちょっと待ってね、なんて、少しでもぞんざいな扱いをすると、次の時に出てこなくなったりするので。

中国の田舎の方では、子どもたちのズボン?が、しゃがむとお尻を覆う布がわかれて、そのまま排便できるようなデザインになっていたんだ、って話も聞いたことがある。大自然の中で排泄、っていうんだったら、トイレを探して、っていうよりもだんぜん、便意の出てきた時に即座にその辺で…ってのは合理的なのよね。

もちろん、そういう「身体の欲求を大事に守る」っていう生活スタイルと、都会でひとが密集して暮らす時に、お互いに不快にならないようにする、っていう現代人的な生活スタイルの相性がわるい、ってのはある。

 

便秘の話で言うなら、便意って食後に出てくる(排便反射)のだけれど、特に朝食後の反射がいちばん強い。だから、上手に朝食後の便意に乗っかる形で排便できると、毎朝機嫌良く便通がある、っていう状況を作ることができる…はずなんだけれど、夜が遅くて、朝をギリギリまで眠っていたいとか、朝はいろいろ用事が多くて、ばたついているとか、朝食食べたらすぐに通学・通勤で家を出なきゃならないとか、本当にそういうことが積み重なると、ちょっと便意がある…かもしれない、なんていう状況を、社会生活が優先されることで、便意に対してぞんざいな扱いをすることになってしまう。

そりゃ、便秘にもなるよねえ…って、思うのだけれど、じゃあ、朝の時間にもっとゆっくりできるように、ってのは難しいんだよなあ。これが。

 

たぶん、月経のことについても、似たような話がいろいろ起こっているんだろう、ってこれはあくまで推測なんだけれど、私はそう思っている。

 

産婦人科の関係では、異常値が微妙にずれてきたものが他にもあって。お産の時の出血量は500mLを超えると「多量」という扱いになる。

https://medicalnote.jp/diseases/%E5%88%86%E5%A8%A9%E5%BE%8C%E7%95%B0%E5%B8%B8%E5%87%BA%E8%A1%80

これも最近「500mLなんて日常的に超えているし、それをみんな多い、って言われるのも、ねえ」というような声が産婦人科の中で上がってきていて、じゃあ、800mLを超えたら多い、ってことにしようか、みたいな話になってきている。

 

じゃあ、なんで出血が多くなってきたの?ってあたりは、いろいろ難しい話になるのかもしれない。妊婦・産婦さんの身体が変わってきたのか?とかって思うのだけれど、その辺についてはあまりデータがない。妊娠出産についてはそれなりに周産期のデータ登録なんかをしているのがあって、これを見ると医療介入が必要だったお産がどんな感じだったのか、みたいなことは多少傾向が見えてくる…って説明されることもあるのだけれど、こういうデータで調査した場合の「出血が多かったケース」って輸血が必要だった場合、みたいなことになることが多くて、輸血するまではいかないんだけれど、ちょっと多めだったよね、みたいな微妙なところは拾い上げづらいのだろうと思う。

(たとえばhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jjam/27/1/27_4/_pdf など)

 

もう一つ、お産がらみで言うと、高年初産婦ってのがあって。

これは35歳以上の初産婦のことをさす言葉なんだけれど、昔は30歳以上で高年初産婦って呼ばれていた時代があった(1992年に35歳に引き上げになったらしい)。ちなみに、妻の平均初婚年齢(と初産年齢)は昭和50年には24.7歳(25.7歳)だったが、時代が下がるとともに順調に上がってきており、昭和60年に25.5歳(26.7歳)、平成10年には26.7歳(27.8歳)、平成20年には28.5歳(29.5歳)、平成30年には29.4歳(30.7歳)になってきている。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/syussyo07/dl/01.pdf

 

ついでに、興味深いデータとしては、「父母が結婚生活に入ってから、出生までの平均期間」というのがここの表に並んでいるんだけれど、昭和50年に1.55年から順当に増えてきていて、平成30年には2.44年に延びている。いわゆる授かり婚とかおめでた婚と呼ばれる、結婚前に妊娠が判明する、みたいなケースが増えている…?って思っていたのだけれど、統計としては、結婚してから妊娠にいたるまでの時間が長くなってきているみたい。もちろん、これは単純に届け出の数字だけ見て計算しているから、夫婦がいつ頃から「そろそろ子どもが欲しいね」って言い始めたのか、はわからない。DINKS(ダブルインカム・ノーキッズ:夫婦とも収入を得る仕事があって、子どもがいないカップルのこと)なんて言葉が流行ったこともあったから、そういう生活スタイルもあるだろうし、いちがいに「結婚したら子どもを産んで育てて!」ってわけじゃない。

 

不妊症の定義は、以前は「妊娠しようと思ってから2年妊娠にいたらないカップルたち」であったけれど、これも結婚年齢があがってきて、不妊治療をもっと早めにはじめたほうが良さそうだ、っていう雰囲気になったので、2015年に、妊娠にいたらない期間を「1年」に短縮することになっている。

とはいえ、こちらも、現代社会っていうところが、子どもを産んで、育てて、っていう事には向いていないようになってきてしまっているんじゃないかって思うくらい、子育てが大変になってきている。もうちょっとなんとかならないか…とは思うのだけれど、これも難しい。子育ての最中はとっても大変!政治で頑張ってなんとかして欲しい!って思っていても、自分たちの子育てがそこを通り過ぎてくると、割と忘れてしまうことだって多いから。

 

それと、子ども欲しいよねえ、となってから、妊娠までの期間ってのは、やっぱり性交渉の回数が影響している、って論文を、知り合いの先生が出されているのだけれど(それなりに若いカップルで、まだ不妊症とまではいかない人たちが対象になっていた)、

Coital Frequency and the Probability of Pregnancy in Couples Trying to Conceive Their First Child: A Prospective Cohort Study in Japan - PMC
Background: Low fertility persists but remains unexplained in Japan. We examined whether the probabi...

こちらに書いてあることをみると、挙児希望があるのに性交渉の回数が少ない日本人、いったいどうしたんだ?ってことが書いてある。その中でも回数が多い方が妊娠までの期間が短い、っていうんだから、まあそれはそうなのかなあ、って思うのだけれど。

まあ毎日よる遅くまで仕事していて、朝も早い、ってなったら、本当に夫婦生活(性交渉のふんわりとした言い方。実際には夫婦の生活ってそれだけじゃないだろうけれど)の体力的な、あるいは時間的な余裕もないよねえ。ってなる。

 

最近は、介護のために離職する、とかって話もあるけれど、もともと企業なんかで雇用されて、朝出勤して残業もあって、って形のフルタイムでの仕事ってのが、家庭に誰かがいてくれて、そこで仕事以外の「雑務」をまるごと引き受けてくれるから成立している、っていう指摘がある。

一昔前は「男はそとで働いて、女は家庭で専業主婦」的な形を「一般的な」家庭と想定して、それを前提にした雇用と勤務の形態を作り上げたわけだけれど、この雇用・勤務形態に、夫婦それぞれが巻き込まれると、そりゃ、家庭の用事をだれが引き受けるの?ってことになるし、誰かがそこを引き受けられないなら、仕事を辞めるか、子育てを諦めるか、みたいな話になりかねないわけで。このあたりも難しいよねえ。

有識者「日本の労働制度は家にサポートしてくれる人がいて成り立つ」
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やっぱり、現代社会ってところの病理、なんだろうなあ、って思う。

 

一方で、現代社会の中で「成功」していく人たちって、やっぱり自分の時間を削って、仕事に対する工夫していたりするので、自分の生活の時間とか睡眠時間とかを削る方が成果があがる(ことがある)って話になる。昔は4通5落って言ってたけれど、受験勉強している時に睡眠時間が4時間なら通るけれど、5時間だと落ちる(不合格になる)みたいな話だった。そりゃ同じことが、仕事の成果をあげる、っていうところでも出てくるのは間違いじゃない。ただし、それは本当に睡眠時間削っている間に、自分の生命力的なものを削っているんだ、ってことになるから、あまり無理しないようにしてほしいところなんだよねえ。

寝不足についても、またどこかで書きたいとは思うのだけれど。