女性の身体の正常と異常 って話らしいので、
じゃあ、まずは正常と異常の話からしましょうかしら…ってなったんだけど。さあ。
面倒くさい話になるのよねえ。
正常ってなんだい?って尋ねたら、だいたいは「異常じゃないこと」って答えるのよ。
でさ。異常ってなんだい?って訊きかえしたら、ほとんどは「正常じゃないこと」って返事するわけよ。
正常と異常はまあ、そういう意味では裏表、ってことになるんだけれど、問題はどこにその境界線を引くか、ってことで。
私が若いころには「なだいなだ」っていうペンネームでいろいろな本を書いていた作家さんがいらっしゃった。本業は精神科医だった…と思うのだけれど。
(最近見かけないなあ…と思って調べてみたら、2013年に83歳で逝去されていました。まもなく13回忌でした…)
この方が当時、精神科疾患って一体なんなのか、みたいな話の時に、えんえん「異常と正常」の循環論法の話を持ってきて書いておられたのを思い出した。
なんかねえ。そんな話で良いのかい?って思う。
西洋医学的には、ある程度の基準がないとその先の話にならない、ってことで、
健康な成人男性にボランティアで集まってもらって、採血をして。
で、そのときの成分の値を蓄積して、だいたい9割くらいの結果が入る範囲を「正常範囲」ってことにしているのが多いらしい。
検査値で男女差があるものについては、それぞれ男性・女性で別々に測定したんだろうけど。
じゃあさ。
たとえば、検査の対象になった男性が、みーんな貧血気味だった、とか、
日本人はたとえば栄養失調が慢性的にあった、とか
そういう話になってたら?
そういう話になってたら、そのままそれが「正常値」ってことになってるわけですよ。
ある程度数値がずれてきたら、なにがしかの不調がでてきたりするので、
まあそういう不調がでてきたひと、は除外される、ってことで、あからさまにひどい数値じゃない、っていう程度の話。
健康診断なんかに行くと、さらに基準値が厳しくなる。
ここはスクリーニングの場所なので、ぎりぎりひっかけそびれる、よりは、「あなたには、ちょっと異常がありそうなので、詳しい検査してくださいね」ってことで、次の検査に繋げた方が良い。
だから厳しい基準値でやってる。
ただ。
そういう健診でも、この基準値がなぜこう決まったのか、が、きわめて微妙、みたいな話がでてくる数値もあって。
たとえばメタボリックシンドロームを予防するために、健診の項目に取り入れられた「腹囲」ってのがあるんだけれど。
これはもともと基準値が設定されていたわけじゃなくて。
どうやら、当時の担当者さんが「えいっ」と決めてしまったらしい。
えー?そんなので良いの?
企業によっては、その基準値前後での厳しい攻防がある、なんてことも聞いた。
なにしろ、ちょっとでも基準値を超えると、すごい生活指導とか面倒くさいらしいので、
(だったら普段から減量したら良いのに、っていう正論はおいておいて)今ちょっとだけオーバーした!みたいな人がすごい勢いで「それは!違うはずでしょ!もう一回はかりなおして!」って言ってくるとか。
腹囲は、指摘して、改善の指導をすると、たしかに腹囲の数値が減るのは減るらしいのだけれど、なかなか、メタボリックシンドロームの、高脂血症とか、高血圧とかが減るわけでもない…っていう報告がこないだ出てたので、まあ難しい指標だよねえ、って言ってるのだけれど。
女性の身体の正常、異常、なんて話になると、またそれはそれで大変なことになるのだけれど。
まあ、良い状態の身体がどんなものであるのか、ってのは、それなりに、目指してもらいたいところだし、
明らかな異常に対しては医療的な介入が必要になってくるかもしれないけれど、
そこまでではない…?って言っている間のところで、生活の改善や、漢方薬、あるいは鍼灸なんかの手段が有効で、ひどくなる前に手が打てる、ということもあるわけだから。
そういう意味で、異常…ってのは「介入の余地があるところ」くらいで考えてもらったら良いのかもしれない。
そういえば。
昔麻酔科で研修していたときに、怖い話?を聞いたことがある。
今までは特に何も問題にされなかったのに、ある時から急に血中のカルシウムの濃度が問題にされるようになったんだって。
で。それを見ると、血中のカルシウム濃度が低いひとが結構多くて、当時カルシウムの補充の薬が「カルチコール」ってのだったんだけれど、院内のカルチコールが全部無くなってしまった、って。
ええええ?一体なにがあったんですか?って聞いたら。
「カルシウムの濃度がはかれるようになったから、なんだよ」って。
今までは測定に手間がかかっていたのが、わりと簡便に測定できるようになったら、カルシウム濃度の低いひとが次々に見つかったわけでさ。
で、あわててその補正を始めた、っていうことだったらしい。
今はもうちょっとしっかりカルシウムを補充できるような薬ができているので、急に品薄、なんてことは心配しなくて良いはずなんだけれど。
で、次はマグネシウムが…みたいな話になってた(10年以上前の話です。今がどうなのか、はちょっとわかりません)。
異常、って、
まずはそれを検査できる、っていうことから始まることもあるのよ、ねえ。
で。
それは本当に異常なのか?って話になってくるし、
同時に、何かできるなら、介入の余地、っていうことでは、たしかに「異常」なのかもしれない。
女性の身体の「異常」って話に戻ると、
月経困難症ってのがあるんだけれど。
これ。西洋医学の話をすると、以前は介入できる手段がほとんど無かったの。
で。
最近は低用量ピルとか、黄体ホルモン類似成分の薬が用いられるようになってきたんだけどさ。
それ以前は治療法…鎮痛剤とか、生活指導、とかって書いてあったりするのよ。
逆に今は処方薬に頼り切りになっているから、生活指導を忘れてしまったりして、
それはそれで、介入の仕方として、それだけで良いの?って思う部分でもあるのだけれど。
このあたりは、漢方とか、鍼灸とか、あるいはそういう専門家の生活指導が手に入るなら、そういうものの方が実践的かもしれないし。
異常と正常、っていうよりは、
なので、
介入できる余地があるかどうか、ってところ、なのかなあ、って思うわけで。
もちろん、それに病名みたいなものをつけたり、つけなかったりするんだけれど。
そりゃ、西洋医学的な異常と、鍼灸的な異常や漢方的な異常が、きちっと1対1で対応する…わけじゃないよねえ、って話になるのよ。ねえ。
だからその間の部分で、私たちの仕事ってのが山盛りあるわけで。さ。
このエッセーへの質問とお答え
西村先生は、ご自身の臨床で「異常」と「正常」の弁別を行いますか
医師は、診察データを読んで、「治療の必要な異常状態である」か、「取りあえずどのような転帰を得るのを静観する」かを弁別する専門家という理解でいいでしょうか
健康診断の血液検査などは、そのあと医師の面談を受けることができるので、治療を要するのか、もっと深い検査が必要なのかを、相談して決めることができますが、「異常の自覚」があらわれても、それが深刻なものなのか、気にしなくてもいいものなのかを判断するときに、「自分の身体のことは、自分が一番わかっている」という直感を信じる、という生き方は、あまり勧められない、という考え方ですか